走る事について語るときに僕の語ること


この間の日曜日に、湘南国際マラソンに参加してきました。申し込んだのが春ぐらいだったのでゼッケン届くまでうっかり忘れてました><幸いなことに申し込み時にフルマラソンは定員オーバーだったので10キロマラソンです。ほんとフルでなくてよかったと思う僕には自分でガッカリです・・・。。。


何はともあれゼッケンが届いてからは、夜な夜なちょこちょこ走っていたのですが、30分くらい走るとなぜか左足が、痛くなってしまうのです。ジムでは1時間くらい平気で走っていたのですが、うぅジムで走るのとは、やっぱ違いますね。しかも夜の海沿い一人で走るのは、なんというか非常に寂しい、頭もばっさりいっちゃったので頭も寒いし、こんな寒い時期でもカップルさんとかいたりしますしね。


逆に休日の朝走ったときは、きれいな富士山や、サーファーの波乗りや、犬の散歩してる人や、サイクリングしてる人、僕と同じようにマラソンしてる人、近くの公園では子供たちがはしゃいでいたり、スケートしてる人なんかを横目にみて走るのは非常に気持ちよくすがすがしかった。運動するのって素敵だなーと単純に思えた。僕はゆっくり泳ぐのが好きなんだけど、同じようにゆっくり走るのもなんだか好きかもです。なんていうか体と一緒に心もメンテナンスされる気分。走りながらは特にたいした事考えてないんだけど、そのたいした事を考えないのが好きなのかもです。



まあそんなこんなで微々たる練習を経て本番当日を迎えたわけです、本番当日会場に着くとものすごい人だらけでビビりました!!!ちょ、こんないっぱい走れんのかーというくらいの人、人、人。10キロマラソンだけで1万人以上いたようです。スタート地点に着くと、さらに人だらけで、スタートの合図が出ても、しばらくは身動きできず・・・。うわ〜〜〜早く走りたーいとか思ったし周りの人も思ってそうでした、しかし11月の寒空の中、こんな大勢が走りたいと思わせるマラソンってなんだか不思議ですよね。みんなはどんな気持ちで走る気になったのかな、走っているのかなとか考えながら走り始めました。


案の定というか予想よりも早く左足に痛みが・・・体は元気なのにペースを上げられなくて悲しい気分に包まれながら走るハメに><はじめのうちは痛みが気になってしょうがなかったのだけど、徐々に痛みに慣れてきて、痛みとうまく付き合いながらのペースで、少し余裕を感じはじめれた。こんなに大勢で走る経験は初めてなので、せっかくだから楽しもうと思い、周りの人の走り方や表情沿道で応援してる人たちにも目が行くように、周りが見えるようになるとさらに余裕ができて後半は、みんなも苦しそうだな〜とか感じながら、ゆっくりだけどだいぶ楽に走れた気がします。結局足の痛みにさからわらずに、かといって歩かずに1時間くらいで走りきりました。


ゴールした後はなんというか凄い満足感と安堵感に包まれました。タイムはよくなかったけれど、自分の状態に合わせて、しっかり最後まで完走できたのはとてもよかったと思います。人生もあせらず、無理せず、余裕を持ってまわりを見渡しながら自分のペースで走って満足感と安堵感を感じながら生きていきたいものです。などとにわかランナーの僕は思ったわけです。


よしっ!!うまくまとめられたぞっwww


そ、それからマラソンといえば、僕は村上春樹の『走る事について語るときに僕の語ること』が好きです。

もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?苦しいからこそ、その苦しさを通過していく事をあえて求めるからこそ、自分が生きているという確かな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだす事ができるのだ。生きることのクオリティーは、成績や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどりつくこともできる。



メダルもらったよ!!来年はフルマラソンに出たいな^^